ゴッホとは

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)

フィンセント・ファン・ゴッホは、画廊勤務や伝道師の仕事を経て、27歳の頃に画家になる決心をします。決して早いスタートではありませんでしたが、ついに天職を見つけたのでした。それからの10年間、もちまえの探究心と創意をもって熱心に絵に取り組みました。

はじめは手引書をたよりに過去の巨匠たちの作品を模写するなど独学で描いていましたが、ハーグ派の画家たちと交流することで腕を磨きます。彼らから描くことの基礎を学び、風景やモデルを直接見て描くこと、農民たちの労働をひたむきに捉える姿勢など、画家ファン・ゴッホの土台はこの時に築かれました。それからオランダ各地を転々とした後、ファン・ゴッホは弟テオの住むパリに出ます。

ここで芸術の最新の動向や日本の浮世絵など新たな刺激を受けたことから、作風を劇的に変化させました。特に印象派からの影響は大きく、原色を用いた明るい色彩と、筆触を残す描き方を積極的に取り入れています。
その後アルル、サン=レミ、オーヴェル=シュル=オワーズと移動をくり返す中で、自然の移り変わりや人々の日々の営みに向き合い、うず巻くような激しい筆遣いに原色を乗せ、生命力に満ちた唯一無二の作風をうち立てました。

ファン・ゴッホの生涯


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1853

0

3月30日
オランダ南部の小村フロート・ズンデルト(①)に牧師の子として誕生

① 父が牧師をしていた教会
フィンセントとテオの銅像が立つ

1857

4

5月
弟のテオドルス(愛称テオ)誕生

1869

16

7月
伯父が設立したグーピル画廊ハーグ支店に勤務

1873

20

6月
熱心な仕事ぶりが評価され、ロンドン支店に栄転

1874

21

2月
下宿先の娘ユジェニー・ロワイエに求婚するも断られる
10月-12月
失恋の痛手から、勤務態度が低下し、一時的にパリ支店へ転勤

1876

23

4月
転勤先でも仕事が手につかず、解雇される

1877

24

1月
伯父の紹介で書店に勤めるが、店番をせず聖書を読みふける、3か月で退職
5月
牧師を目指して大学の神学部受験を決意、猛勉強するも挫折

1878

25

8月
神学部入学を断念、ベルギーで伝道師になろうとするが不採用になる
12月
自費でベルギーの炭鉱地帯・ボリナージュにおもむき伝道活動を開始

1879

26

1月
過剰な活動に対して資格を停止される

1880

27

8月
テオの勧めで画家になることを決意
10月
プリュッセルに移り、画家のアントン・ファン・ラッパルトと交流

1881

28

4月
エッテンに転勤していた両親の元に戻る
いとこのケー・フォスに好意を寄せるが失恋に終わる
12月
ハーグ(②)に移り住み、親戚の画家アントン・マウフェに絵の手ほどきを受ける

② グービル画廊があった通り
政治の中心地ハーグには多くの芸術家が集まった

1883

30

12月
ニューネン(③)に引っ越していた両親の元に戻る

③ 家族が住んでいた牧師館
この裏手のアトリエで次々と作品を生み出した

1885

32

3月
脳卒中で父が急死
11月~86年1月
ベルギーのアントウェルペンに移住、美術学校に通う

1886

33

2月
パリ(④)のテオのもとに行く 印象派絵画に触れ、その後影響を受けるようになる
3~6月
フェルナン・コモンの画塾で学ぶ アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック、エミール・ベルナール、カミーユ・ピサロら画家たちと出会う

④ テオと暮らしたアパート
田園風景と繁華街が混在し画材店やアトリエも多数あった

1887

34

収集した浮世絵の展覧会をカフェ「ル・タンブラン」で開く
11~12月
ベルナールらと展覧会を開催 ポール・ゴーギャンと知り合う

1888

35

2月
芸術家の共同体をつくることを夢見て南仏・アルル(⑤)に旅立つ
10月
ゴーギャンと「黄色い家」で共同生活を始める
12月
ゴーギャンと口論の末、「耳切り事件」を起こす ゴーギャン、パリに戻る

⑤ ゴーギャンと暮らした「黄色い家」跡地
家自体は戦争で焼失したが周囲の建物や道路は今も残る

1889

36

4月
テオがヨハンナ・ボンゲルと結婚する 翌年には息子のフィンセント・ウィレムが誕生
5月
自らサン=レミ(⑥)の精神療養院に入院 発作と闘いながらも窓から見える景色やオリーヴ園などを精力的に描く

⑥ サン=ポール=ドモゾール(修道院跡)精神療養院
治療を受けながら制作に励んだ

1890

37

1~2月
ブリュッセルで開催された展覧会に作品6点を出品《赤いブドウ畑》が400フランで売れ、美術評論家から好評を得る
5月
医師のポール・ガシェを頼ってオーヴェル=シュル=オワーズ(⑦)ヘ行く 1日に約1点という驚異的なスピードで制作を続ける
7月6日
パリに住むテオを訪れ、一家の困窮を目の当たりにする 自分の存在がテオ一家の負担になっていることを実感する
7月27日
ピストル自殺を図る
7月29日
テオに見守られて亡くなる 半年後の1891年1月25日、テオもあとを追うように亡くなる

⑦ 村の周囲に広がる麦畑
こののどかな村で悲劇的な最期を遂げた


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